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一般家屋からオフィスビルまで、いまや建築材料として欠かせない石膏ボード。人が建物を建て続ける限り安定的な市場であり、そのトップシェアを握ってきたのが吉野石膏だ。黙っていても吉野石膏の石膏ボードが出荷され、着実に売上を上げていく。その代わり大きな発展は見込めない「成熟産業」と見られがちだが、吉野石膏はそう考えてはいない。次の商品、次のニーズを目指して、たゆまぬ研究開発を続けている。
その一つの方向性が、既存製品に付加価値をつけることによって単価を上げ、売上を向上させるというものだ。そのためには、何らかの機能やデザインなどによる「独自性」を打ち出す必要がある。
吉野石膏の商品開発は、商品開発部と技術研究所で行われている。商品開発部が、具体的な商品の提案や開発を行っているのに対し、技術研究所ではどちらかといえば基礎研究的な「素材寄り」の研究開発を担っている。その技術研究所で、98年に画期的なアイデアが提出された。発案者は、かねてから「シックハウス症候群」対策を研究してきた安宅だった。
「シックハウス症候群とは、建材や接着剤から発生するホルムアルデヒドやトルエン、キシレンなどの有害物質によって、呼吸器障害などの健康被害が出るもので、当時ようやく注目され始めたテーマでした。私は研究を続ける中でホルムアルデヒドを吸着分解する薬品を見つけ、それを石膏ボードに混ぜてみてはどうかと提案したんです」(安宅)
提案を受けた上司、横山副所長は、研究の継続を指示する。安宅は、インターネットでの情報収集に始まり、展示会への参加、商社を通しての薬剤サンプルの取り寄せと検証などの作業を続けた。
「安宅から最初に提案があった時、当社が追いかけるべき重要なテーマだと思いました。環境対策という市場は十分に将来性があるし、機能性によって付加価値をつけるという会社の開発方針にも適合していたので、開発を進める判断をしました」(横山) |
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しかし当時はまだ、社内でもシックハウス症候群という概念が浸透していなかった。横山は安宅に研究を続けさせる一方で、社内の説得に取りかかった。材料は、安宅の研究による技術報告と、シックハウス症候群への危機感の高まりを示す資料だった。安宅の努力と横山の熱意によって上からのOKが出たのは、翌99年になってからだった。 |
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研究を始めてから約1年を経て、安宅はようやく有効な薬剤を特定した。石膏ボードとの相性がよく、ホルムアルデヒドの吸着分解性能も十分な薬剤である。
「ホルムアルデヒドを分解したり吸着する薬剤や物質はたくさんあったんですが、その性能確認を行うのにかなりの時間を費やしました。 |
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| 当初は、性能確認の方法すら確立されていなかったので、大学の研究者たちと共同で試験方法を考案しました。あとは、一つひとつ性能確認をしてデータを積み重ねていけば、最適な薬剤が見つかると信じていました」(安宅) |
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有効な薬剤が特定されたのを受けて、シックハウス対策製品の開発プロジェクトが正式に発足した。プロジェクトは横山をリーダーに、安宅が中心となり、サポートに3人の研究員がつく体制となった。安宅を中心に具体的な商品化のための取り組みが始まった。横山は、新製品の将来性、採算性を確認しながら、社内でのプレゼンテーションを継続していった。
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「プロジェクトが発足してからは、社内でもシックハウス対策の重要性やこの製品のニーズが認められ、早く商品化せよとの指示が出るほどになりました。この頃から開発のピッチが上がっていったんです」(横山)
有効な薬剤が特定され、あとは既存の石膏ボード製造技術を応用して製作すればよいだけかと思われたが、開発はそう簡単にはいかなかった。薬品をどれだけ入れるか、どのような工程で製作するかなど、やり方によって性能が大きく変わってくるのだ。一方で、上からは早期の商品化を迫られ、時間との戦いも始まった。プロジェクトは発足してすぐに大きな山場を迎えた。 |
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技術研究所 副所長
1974年入社。理学部化学科卒。
北海道吉野石膏を皮切りにいくつもの製造現場を経て、87年より技術研究所で基礎研究に従事。その後再び工場の製造管理を経て、98年より現職。モットーは「やれるだけのことを全部やる」。 |
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技術研究所 主任
1995年入社。理工学研究科工業化学専攻博士前期課程修了。
入社後、1年間草加工場で製造に携わった後、技術研究所へ。いくつかの石膏ボード製品の開発を経て、98年よりハイクリンボードの開発に着手。01年より東京大学の研究室に通い、博士論文を作成中。 |
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相模原営業所 営業課
1993年入社。政治経済学部政治経済学科卒。札幌支店で6年を過ごした後、99年より相模原営業所へ。高校、大学とアメフトで鍛えた体力が売りの体育会系。「将来の主力商品」との社命を受けて、ハイクリンボードの営業に東奔西走する。 |
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